設計製図こそ己の実力を磨き、表現する場でしょう。
それでは建築史は?
退屈な「お勉強」と感じる学生も多いでしょう。
僕自身がそうでした。
建築学科はとにかく忙しくて、課題をこなすのに精一杯。
アトリエ事務所でアルバイトもしてたので、可処分時間を全て設計課題に注ぎたいと考えておりました。
4年生になると当然「意匠系」の研究室に進みました。
しかし、情けないことに僕の成績では在籍していた研究室へ推薦入学ができないことを知りました。
一般受験で高倍率の戦いに身を投じる気にもなれず、結局仕方なしに定員割れしていた「歴史系」の研究室へ進学しました。
そんな後ろ向きな動機による進学が僕の人生を大きく変えました。
「建築史」は真剣に向き合う価値のある学問であることに気づいたからです。
そこで、この記事では設計で食っていきたいと考えている人ほど「建築史」を研究せよと主張したいです。(歴史系に進もうが、意匠系に進もうが、スタンスとして)
歴史を学ぶ意義とは何でしょうか?
僕なりの考えは以下の通りです。
①歴史を学ぶ
↓
②「知識」が増える(言葉の獲得)
↓
③「観察」のクオリティが上がる(言葉を概念へ進化させる)
↓
④設計にフィードバックできる(概念を応用)
(意識的・無意識的に)
制作するということは制作の途中で随時制作者が制作途中の作品を鑑賞しているのであり、鑑賞は制作の一部なのである。p.159
また、アメリカの建築家W.W.コーディルらは『建築鑑賞入門』(1979, 鹿島出版会)の中で「知識が鑑賞を深める」と指摘しています。
つまり設計に応用できる概念を獲得するために、建築を観察=鑑賞する。観察のクオリティを上げるために歴史を学び知識をつける。という流れです。
また、建築史や建築理論を学ぶ中で「哲学」は避けて通れません。
「哲学」についてはまた別記事でまとめようと思います。
(余談)
「知識」が人間の「認識」を変えるということは本当だと思います。
例えば、僕はウイスキーが好きなのですが、初めて飲んだ時は「ただのアルコールが高いだけの酒」という印象でした。
それでも村上春樹の作品に憧れて、歴史や背景・製作方法・産地についての基礎情報を集め、飲み方、飲む場所を変えながら試行錯誤していく中でいつのまにか「マジでうまい」と思うように変わっていきました。
「知識」が「味覚」を変えた体験と言えないでしょうか。
これは建築やデザイン、アートなどすべての「知覚対象」にも言えそうですね。
「知識」が人間の「知覚」を変え、良し悪しの判断にまで影響を与える。
今後も追及していきたいテーマです。
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